育児について、よくこういう言葉があります。
「母乳をあげる以外は、父親でもできる」
たしかに、これは間違っていないと思います。
おむつ替え。
ミルク。
寝かしつけ。
お風呂。
着替え。
保育園準備。
病院対応。
食事。
外出。
遊び相手。
夜泣き対応。
こういうものは、父親でもできます。
実際、私もやってきました。
父親も、子どもの親である以上、育児を覚えるべきです。
そこは否定しません。
ただ、問題はこの言葉の使われ方です。
モラハラ妻・テイカー妻・ハズレ妻の場合、この言葉が夫を責めるためのマウントとして使われることがあります。
「母乳をあげる以外は父親でもできるのに、なぜできないの」
「父親なのに何もできないの」
「結局、私ばかりやっている」
そうやって、夫を下に置く材料になる。
私も散々言われてきました。
でも、実際に父親が本当にできるようになった先には、別の現実があります。
それは、妻にしかできないことが減っていくという現実です。
「母乳をあげる以外」は、本当に父親でもできる
まず、育児そのものについては、父親でもできることが多いです。
最初から全部できる父親は少ないと思います。
私も最初から何でもできたわけではありません。
分からないこともありました。
失敗したこともあります。
妻に任せていたこともあります。
でも、やれば覚えます。
おむつ替えも、最初はぎこちないかもしれません。
寝かしつけも、最初はうまくいかないかもしれません。
保育園準備も、最初は何を入れればいいか分からないかもしれません。
病院対応も、最初は不安かもしれません。
子どもの食事も、最初は何をどれくらい食べさせればいいか分からないかもしれません。
でも、やっていけば覚えます。
母乳をあげること以外は、父親でもできる。
これは、ある意味では本当です。
だからこそ、父親側も逃げてはいけないと思っています。
子どもの親である以上、育児は覚えた方がいい。
自分の子どもと二人で動けるようになった方がいい。
母親がいないと何もできない状態からは、抜け出した方がいい。
そこは私も強く思っています。
でも、それを夫へのマウントに使うなら話は変わる
ただし、この言葉を夫へのマウントに使うなら、話は変わります。
「母乳をあげる以外は父親でもできる」
この言葉を、父親に育児を覚えてもらうためのきっかけとして使うなら、まだ分かります。
でも、
「できないあなたはダメ」
「私の方が上」
「あなたは父親として足りない」
「結局、私がいないと無理」
こういう空気で使うなら、それはただの攻撃です。
育児の話ではなく、夫を下に置くための言葉になります。
モラハラ妻の場合、このような言葉で夫を責めることがあります。
育児を教えるのではなく、責める。
一緒に覚えていくのではなく、見下す。
家庭を良くするためではなく、自分の優位性を確認する。
これでは、夫婦関係は良くなりません。
父親側は委縮します。
自信をなくします。
そして、ある時から逆に本気で覚え始めます。
妻にマウントを取られないために。
子どもを守るために。
自分が家庭内で一方的に下に置かれないために。
本当にできるようになった先にあったもの
私の場合、本当に母乳をあげる以外の育児は、ほぼすべてできるようになりました。
子どもの食事。
お風呂。
寝かしつけ。
夜泣き対応。
保育園準備。
病院対応。
休日の外出。
子どもと二人で過ごすこと。
家事も最低限こなせます。
料理もできます。
掃除も洗濯も、生活が困らない程度にはできます。
そして、子どもも私に懐いています。
では、その先に何があったか。
正直に言えば、妻の存在価値が見えにくくなりました。
かなり残酷な話ですが、これは現実です。
家計は私が主に支えている。
家事も別にできる。
育児も母乳をあげる以外はできる。
子どもも私に懐いている。
そうなった時、
「妻にしかできないことは何なのか」
と考えてしまうようになります。
これは、妻を不要だと言いたいわけではありません。
子どもにとって母親という存在が大事な場面もあると思います。
でも、妻自身が夫に対して、
「母乳をあげる以外は父親でもできる」
とマウントを取るなら、その言葉は妻側にも返ってきます。
父親が本当にできるようになった時、妻にしかできないことはどんどん減っていくからです。
育児で夫を責めるなら、仕事と収入の差にも向き合うべき
さらに言えば、私はこうも感じます。
母乳をあげる以外は父親でもできる。
そう言うなら、父親も特別な人間ではありません。
私も特別な人間ではありません。
努力して覚えたからできるようになっただけです。
それなら、妻側も仕事や収入面で現実と向き合うべきではないかと思ってしまいます。
私の家庭では、私と妻には年収で約2倍の差があります。
もちろん、年収だけで人間の価値が決まるとは思っていません。
妻の仕事を馬鹿にしたいわけでもありません。
ただ、育児については、
「父親でもできる」
「できないのはおかしい」
「覚えればできる」
と言うのであれば、仕事や収入についても同じように考えるべきではないでしょうか。
父親が育児を覚えられるなら、妻も収入を伸ばす努力はできるはずです。
父親が母乳をあげる以外の育児をできるようになるなら、妻も家庭を支える別の力を伸ばせるはずです。
それなのに、育児だけは夫に向かって、
「できて当然」
「できないのはおかしい」
と言いながら、仕事や収入の現実には向き合わない。
これは、かなり都合がいい話だと思っています。
夫の仕事や責任を理解しない妻についてはこちらでも書いています。
関連記事:
夫の仕事と責任を理解しない妻|フルタイム・年収差・業務負担を見ない危うさ
仕事や収入以外にも、夫がすでにやっていることはある
夫がやっていることは、仕事や収入だけではありません。
家庭によっては、すでに夫側が担っていることがあるはずです。
市区町村や自治体のボランティア。
地域行事への参加。
ご近所とのお酒を交えた付き合い。
DIYや日曜大工。
家電製品の設定。
車関係の対応。
力仕事。
家庭内のちょっとした判断や段取り。
こういうものも、夫にしか絶対にできない特別なことではないはずです。
同じ人間なのだから、やろうと思えば妻にもできるはずです。
でも、ここまで言い出すと、かなり不毛です。
「育児は父親でもできる」
「収入を増やすことは妻でもできる」
「家事は夫でもできる」
「地域付き合いは妻でもできる」
「DIYは妻でもできる」
「家電設定は妻でもできる」
こうやって、お互いに「それくらいできるでしょ」と言い合っても、家庭は良くなりません。
結局、ただのマウント合戦になります。
だから私は、家事育児ができるようになったからといって、特別に何かを感じることはありません。
自分はすごいとも思いません。
妻に勝ったとも思いません。
家事育児ができることを武器にして、妻にマウントを取りたいとも思いません。
できるようになった。
だから生活が少し成立しやすくなった。
妻にできて自分にできないことが減った。
子どもと二人で動けるようになった。
それだけです。
家事育児は、勝ち負けではありません。
夫婦で「できる・できない」を使って殴り合うものでもありません。
本来は、家庭を成立させるために必要なことを、それぞれが現実的にこなせばいいだけです。
妻発信の会話が楽しいと思えなくなった理由
もう一つ、私の中で大きいのは会話です。
私は結婚してから、妻を笑わせようとする話を考えてきました。
楽しい話をしよう。
少しでも場を和ませよう。
家庭の空気を良くしよう。
そう思って、話題を考えてきたつもりです。
でも、妻発信の会話で、私が心から楽しいと感じたことはほとんどありません。
これは、単に会話の好みが合わないという話だけではありません。
妻が口を開けば、自分の働いている会社への不満。
職場の愚痴。
誰かへの文句。
そして、私へのモラハラ発言。
そういう会話が多かったからです。
もちろん、仕事の愚痴を言うこと自体が悪いとは思いません。
誰でも仕事で疲れることはあります。
不満を言いたくなる日もあります。
夫婦なら、そういう話を聞く場面もあると思います。
でも、そればかりになると、聞いている側はかなりしんどいです。
楽しい会話ではありません。
家に帰ってきても、妻の不満を聞く。
職場の愚痴を聞く。
こちらへの責め言葉を受ける。
夫の仕事や疲れはあまり見られない。
こちらが笑わせようとしても、妻から返ってくるのは不満や攻撃的な言葉ばかり。
そうなると、夫婦として一緒にいる意味が見えにくくなります。
家計を主に支えている。
家事もできる。
育児も、母乳をあげる以外はできる。
子どもも懐いている。
それに加えて、会話まで楽しくない。
精神的な支えにもならない。
むしろ、家にいることで削られる。
そうなった時、妻の存在価値を見出すことはかなり難しくなります。
夫婦の会話というのは、本来、少しでも心が楽になるものだと思っています。
くだらない話で笑える。
今日あったことを共有できる。
子どもの話で一緒に笑える。
疲れていても、少し気持ちが軽くなる。
そういう会話があるなら、家事育児や収入だけでは測れない価値があります。
でも、妻発信の会話が不満、愚痴、モラハラ発言ばかりなら、そこにも価値を感じにくくなります。
だから私は、家事育児ができるようになった先で、妻にしかできないことが本当に何なのかを考えてしまったのだと思います。
妻に感謝されても、何も感じなくなった時
あなたが変わった瞬間は、自分でも分かるかもしれません。
これは私の体験談です。
私が家事育児をある程度こなせるようになり、自分の中でも少し自信がついてきた頃、妻から感謝されたことがあります。
普通の家庭なら、きっと嬉しいのだと思います。
「やってよかった」
「認めてもらえた」
「少しは分かってくれたのかもしれない」
そう感じるのかもしれません。
でも、私は何も感じませんでした。
本当に、何も感じませんでした。
嬉しいとも思いませんでした。
報われたとも思いませんでした。
やっと分かってくれたとも思いませんでした。
むしろ、
「何か裏があるんじゃないか」
「急にどうしたんだろう」
と感じて、少し気味が悪いくらいでした。
その時、自分でも気づきました。
私はもう、妻に認めてもらうために家事育児をしているわけではないのだと。
妻に褒められたいわけでもない。
妻に感謝されたいわけでもない。
妻に分かってほしいわけでもない。
ただ、必要だからやっている。
子どもと自分の生活を守るために、淡々とこなしている。
そういう状態になっていたのだと思います。
これは、ある意味では寂しいことかもしれません。
普通の夫婦なら、感謝されたら嬉しいはずです。
「ありがとう」と言われたら、少し気持ちが軽くなるはずです。
夫婦関係が良い方向に向かっているように感じるかもしれません。
でも、モラハラ妻との生活で何度も傷つけられ、期待を裏切られ、言葉の暴力を受け、感謝や謝罪を待つことに疲れきると、そういう言葉に心が動かなくなることがあります。
そして、それは悪いことではないと思っています。
もし、あなたも同じような感覚になったなら。
妻に感謝されても、何も感じない。
褒められても、嬉しくない。
むしろ、何か裏があるのではと警戒してしまう。
そう感じたなら、あなたは本当の意味で家事育児を淡々とこなせるようになっているのかもしれません。
家事育児が、妻に認めてもらうためのものではなくなった。
妻の機嫌取りではなくなった。
自分と子どもの生活を守るための処理になった。
そういう段階に入ったのだと思います。
それは、冷たくなったというより、期待を手放したということです。
妻に感謝されなくてもできる。
妻に褒められなくてもできる。
妻に認められなくても、生活をこなせる。
その状態は、父親側にとってかなり強いです。
なぜなら、妻の反応に振り回されにくくなるからです。
家事育児をこなす目的が、妻の評価ではなく、自分と子どもの生活になる。
そこまで来ると、モラハラ妻に奪われていた家庭での居場所を、少しずつ取り戻せているのだと思います。
マウントに使った言葉は、自分にも返ってくる
「母乳をあげる以外は父親でもできる」
これは、父親側が育児を覚えるきっかけとしては正しい言葉かもしれません。
でも、それを夫へのマウントとして使うなら、その言葉は妻側にも返ってきます。
父親が本当に育児をできるようになった時、妻にしかできないことは減ります。
家事もできる。
育児もできる。
子どもも父親に懐く。
家計も父親が支えている。
そうなった時、妻が家庭内で何を差し出しているのかが見えてしまいます。
だから、夫を責めるためにこの言葉を使うのは、かなり危険だと思います。
父親に育児を覚えさせること自体は大事です。
でも、夫を下に置くために使うなら、それは最終的に妻自身の立場も削る可能性があります。
共存を選ぶなら、父親側は本当にできるようになるしかない
ただ、父親側に伝えたいのは、ここで反発して終わってはいけないということです。
「母乳をあげる以外は父親でもできる」
そう言われたなら、悔しくても本当にできるようになった方がいいです。
おむつ替え。
寝かしつけ。
食事。
病院。
保育園準備。
休日の外出。
家事。
料理。
生活判断。
できることを増やす。
妻にできて夫にできないことを減らす。
妻にマウントを取られる材料を減らす。
これは、妻に認めてもらうためではありません。
自分と子どもを守るためです。
家庭での居場所を取り戻すためです。
共存を選ぶなら、父親側は本気で変わる必要があります。
その結果、妻の存在価値が見えにくくなったとしても、それは夫側のせいだけではありません。
夫を責める言葉で追い込んだ結果、父親が本当にできるようになった。
その先に、妻への依存が減っただけです。
モラハラ妻への期待を捨てる考え方については、こちらでも書いています。
関連記事:
モラハラ妻への期待を捨てる|妻は変わらないから自分が変わるしかない
まとめ:育児マウントの先には、妻にしかできないことが減る現実がある
「母乳をあげる以外は父親でもできる」
これは、父親に育児を覚えさせる言葉としては間違っていないかもしれません。
父親も育児を覚えるべきです。
子どもと二人で動けるようになるべきです。
母親がいないと何もできない状態からは抜け出した方がいいです。
でも、この言葉を夫へのマウントに使うなら、その先には現実があります。
父親が本当にできるようになれば、妻にしかできないことは減ります。
家事もできる。
育児もできる。
子どもも懐く。
家計も支える。
生活判断もできる。
そうなった時、妻側も自分が家庭に何を差し出しているのかを問われることになります。
できる・できないで争うこと自体は不毛です。
でも、モラハラ妻がその不毛な争いを仕掛けてくるなら、父親側はできるようになるしかありません。
妻に勝つためではありません。
子どもを守るためです。
自分の生活を守るためです。
家庭での居場所を取り戻すためです。
そして、家事育児を淡々とこなせるようになった時、妻から感謝されても何も感じない瞬間が来るかもしれません。
それは、冷たくなったのではなく、期待を手放したサインかもしれません。
妻に認めてもらうためではなく、自分と子どもの生活を守るために動けるようになったということです。
その状態まで来たなら、父親側はかなり強くなっています。
もう、妻の言葉だけに振り回される必要はありません。
自分と子どもの現実を見て、淡々と前に進めばいいと思っています。

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