家事育児は、完璧にやるものではありません。
少なくとも私は、そう考えています。
掃除の頻度、洗濯のやり方、皿洗いの方法、子どもの食事の進め方。
どれも家庭によって違います。
だからこそ、父親が目指すべきなのは「完璧な家事」ではなく、生活を破綻させずに乗り切れる状態です。
汚れたら掃除する。
食器が出たら洗う。
服がなくなる前に洗濯する。
子どもが腹を空かせたら食べさせる。
眠そうなら寝かせる。
体調が悪ければ病院に連れて行く。
まずはそれでいいと思っています。
もちろん、子どもの安全や健康に関わる部分まで適当でいいと言っているわけではありません。
私が言っているのは、家事の細かい部分です。
洗面所の水滴が少し残っている。
洗濯物の畳み方が少し雑。
皿洗いの手順が妻の理想と違う。
掃除の頻度が妻の感覚と違う。
そういう部分まで、すべて完璧に合わせる必要はないということです。
家事は適当でいい。でも育児は別
ここは誤解されたくないので、はっきり書いておきます。
私は、家事は適当でいいと思っています。
でも、育児は別です。
私は、わが子が大好きです。
私にとって育児は、ただの義務というより、趣味に近い感覚すらあります。
もちろん、気分で育児をやる・やらないを決めているわけではありません。
日常的な育児で必要なことは、父親としてすべてやる前提です。
ご飯を食べさせる。
お風呂に入れる。
寝かしつける。
保育園の準備をする。
体調が悪ければ病院に連れて行く。
休日は一緒に出かける。
泣いていれば向き合う。
困っていれば助ける。
そういう必要な育児は、やって当たり前だと思っています。
そのうえで、子どもと過ごす時間は私にとってかなり大事です。
子どもと二人で買い物に行く。
公園に行く。
車で出かける。
ご飯を食べに行く。
友人やパパ友と、子どもも一緒に遊ぶ。
こういう時間は、私にとって楽しい時間でもあります。
家事は、生活を荒らさないためにこなすもの。
育児は、子どもを守るためであり、自分にとって楽しみでもあるもの。
ここは分けて考えています。
家事育児ができるとはどういうことか
私が考える「家事育児ができる」とは、完璧にこなすことではありません。
無理なく続けられること。
感情を荒らさずに処理できること。
目的を達成できていること。
子どもが安心して過ごせること。
家庭の空気を壊さないこと。
このあたりが大事だと思っています。
たとえば、皿洗いなら、皿がきれいになって次に使えればいい。
掃除なら、子どもが危なくなく、家族が不快すぎない程度に整っていればいい。
洗濯なら、着る服が確保できていればいい。
料理なら、食べられて、子どもがある程度満足して、自分もおいしいと思えればいい。
育児なら、子どもの安全、食事、睡眠、体調、気持ちに向き合えていればいい。
私は、これで十分だと思っています。
逆に、どれだけ細かく家事をやっていても、家族に怒鳴る。
ヒステリックになる。
子どもを悲しませる。
夫を責め続ける。
家庭の空気を荒らす。
そういう状態なら、私はそれを「家事育児ができている」とは思いません。
作業をしていることと、家事育児ができていることは違います。
家事育児は、家族の生活を成立させるためのものです。
それによって家族が苦しくなっているなら、本末転倒です。
私は妻が家事育児をできているとは思っていない
誤解を恐れずに言えば、私は妻が家事育児を本当の意味でできているとは思っていません。
もちろん、妻が何もしていないという意味ではありません。
実際に家事をしている場面もあります。
育児をしている場面もあります。
子どものことを考えて動いている場面もあります。
でも、私が言いたいのは、作業量の話ではありません。
家事育児をやった結果、家庭の空気がどうなっているかです。
家事の細かさにこだわって、ヒステリックになる。
子どもが食べないことで癇癪を起こす。
自分の思い通りにいかないと不機嫌を家族にぶつける。
夫のやり方が自分と違うだけで責める。
「子どものため」を盾にして夫を追い詰める。
家事育児によって、子どもが笑顔でいられなくなる。
こういう状態なら、私の中では「家事育児ができている」とは言えません。
家事育児は、家庭を整えるためのものです。
子どもを安心させるためのものです。
親が笑顔でいられる空気を作るためのものです。
それなのに、家事育児を理由に家庭の空気を壊しているなら、それはできているとは思えません。
父親が家事育児をこなせる意味
モラハラ妻・テイカー妻・ハズレ妻との生活では、父親が家事育児をこなせることはかなり重要です。
なぜなら、家事育児ができない夫は、家庭内で一方的に下の立場に置かれやすいからです。
「あなたは何もできない」
「私がいないと無理でしょ」
「家のことを分かってない」
「子どものことを分かってない」
こういう言葉でマウントを取られる材料になります。
実際、モラハラ妻に対話が通用しない理由については、こちらでも書いています。
関連記事:
モラハラ妻に対話が通用しない理由|家事育児ができない夫ほど要求を飲まされやすい
ただし、妻に褒められるために家事を頑張る必要はありません。
妻に認めてもらうため。
妻に感謝されるため。
妻に怒られない完璧な夫になるため。
そういう方向に行くと、父親側が潰れます。
大事なのは、家庭内で一方的に弱い立場にならないことです。
家事育児をこなせるようになると、少なくとも「自分は何もできない」という負い目は減ります。
妻が不機嫌になっても、ある程度は自分で生活を成立させられる。
子どもと二人でも出かけられる。
食事も最低限なんとかなる。
掃除も洗濯も必要最低限はできる。
この感覚があるだけで、かなり違います。
共存を選ぶ父親にとって、家事育児は妻に尽くすためのものではありません。
自分と子どもを守るための作戦です。
このブログ全体の考え方はこちらにもまとめています。
関連記事:
パパ作戦室とは|モラハラ妻と戦うパパの日本一リアルな教科書
妻への警戒に使っていた力を子どもに向ける
相手がモラハラ妻の場合、私は妻に期待しません。
信用もしすぎません。
家事育児をこなせるようになると、正直なところ、妻がいてもいなくても生活自体はそこまで変わらないという感覚になってきます。
これは、妻を馬鹿にしたいわけではありません。
自分を守るための現実認識です。
妻がいないと何もできない。
妻がいないと子どもを見られない。
妻がいないと生活が成立しない。
この状態だと、父親側はどうしても弱くなります。
でも、自分で家事育児をこなせるようになると、妻への警戒や機嫌取りに使っていた力を、少しずつ子どもに向けられるようになります。
すると、不思議と楽しいアイデアが出てきます。
今度、子どもとあそこに行こう。
今度、友人を誘って子どもも一緒にご飯を食べに行こう。
今度の休みは公園に行こう。
帰りに好きなものを買ってあげよう。
子どもが喜びそうな場所を探してみよう。
こういうことを考えられるようになる。
これは、父親にとってかなり大きいと思っています。
モラハラ妻との生活では、どうしても妻の機嫌や怒りポイントに意識を持っていかれます。
でも、本当に大事なのは子どもです。
家事育児をこなせるようになることは、妻のためではありません。
子どもと向き合う余裕を取り戻すためでもあります。
ここから書いていくこと
ここでは、父親が家事育児をこなすための考え方を整理していきます。
家事は完璧にやらなくていい。
働いてお金を稼ぐ父親は十分偉い。
家事は頑張るより減らす。
家事育児に正解はない。
妻にマウントを取られない最低限をこなす。
家事の目的は妻を満足させることではない。
妻の家事ルーティーンを学習する。
家事育児をこなせると負い目が減る。
家事育児は父親側の防衛にもなる。
具体的に私が家事育児で実際にやったことは、今後このブログで実用記事として書いていきます。
皿洗い、洗濯、掃除、料理、子どもの食事、寝かしつけ、病院対応など、私が実際にやってきた方法をそのまま載せていくつもりです。
すべての家庭にそのまま当てはまるとは思いません。
ただ、「まず何から始めればいいか分からない」という父親にとって、最初の参考になればいいと思っています。
関連記事:
家事は完璧にやらなくていい|働いてお金を稼ぐ父親は十分偉い
家事は頑張るより減らす|やればやるほど損になる作業を効率化する

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