家事の目的は妻を満足させることではなく家庭を荒らさないこと

家事の目的は、妻を満足させることではありません。

家庭を荒らさないことです。

私は、ここを間違えると父親側がかなりしんどくなると思っています。

モラハラ妻・テイカー妻・ハズレ妻との生活では、家事がいつの間にか「妻の採点対象」になっていることがあります。

皿の洗い方。

洗濯物の干し方。

掃除の頻度。

風呂掃除の仕方。

子どもの食事の進め方。

全部、妻の中のルールに合っているかどうかで判断される。

でも、本来の家事はそういうものではないはずです。

家事は生活を成立させるための作業

家事は、生活を成立させるための作業です。

食器を洗うのは、次に使えるようにするため。

洗濯するのは、着る服を確保するため。

掃除するのは、危なくない・不快すぎない環境にするため。

風呂を洗うのは、普通に入れるようにするため。

ゴミを捨てるのは、家が不衛生にならないため。

それ以上でも、それ以下でもありません。

もちろん、こだわりたい人がこだわるのは自由です。

でも、そのこだわりを家族に強制し始めると、家事は生活のための作業ではなく、支配の道具になります。

モラハラ妻の自分ルールについてはこちらでも書いています。

関連記事:
自分ルールを押し付ける妻|家事育児に絶対ルールを作るモラハラ妻

妻の満足をゴールにすると終わりがない

妻の満足をゴールにすると、家事は終わりません。

なぜなら、満足の基準が相手の気分で変わるからです。

昨日は何も言われなかったことを、今日は怒られる。

前に言われた通りにやったのに、別のことで責められる。

確認すると「それくらい分かるでしょ」と言われる。

やらなければ怒られ、やっても怒られる。

こうなると、父親側は何をしていいか分からなくなります。

家事をしているのに、気持ちは楽にならない。

むしろ、家事をするたびに緊張する。

それでは意味がありません。

家事は、家庭を落ち着かせるためのものです。

妻の機嫌ガチャに付き合うためのものではありません。

子どもの笑顔を消す家事育児に意味はない

私は、子どもが笑顔でいられなくなるような家事育児は、やる必要がないと思っています。

モラハラ妻・テイカー妻・ハズレ妻は、よく「子どものため」という言葉を使います。

「私はこんなに子どものために細かくやっている」

「あなたのやり方は完璧ではない」

「2人の子どもなのに、子どものことを真剣に考えていない」

「子どものためを思うなら、もっとちゃんとやるべき」

こういう言葉で、自分が今やっている家事育児を正当化し、夫を責める材料にすることがあります。

でも、はっきり言います。

それは違います。

子どものことを真剣に考えているからこそ、父親は責任を持って社会に出て仕事をしています。

子どもの生活費を稼ぐ。

家を守る。

食費を稼ぐ。

保育園代を払う。

服を買う。

病院に連れて行けるだけのお金を用意する。

将来のために家計を考える。

これも、間違いなく子どものためです。

家の中で細かい家事を完璧にやることだけが、子どものためではありません。

むしろ、私は子どものことを真剣に考えているからこそ、家事は適当でいいと思っています。

家事を完璧にしようとして、親がヒステリックになる。

家事の細かさで夫婦の空気が悪くなる。

子どもの前で不機嫌をぶつける。

子どもが親の顔色を見るようになる。

それでは本末転倒です。

しつけは大事です。

私もしつけは非常に大事だと思っています。

子どもにルールを教えること。

人に迷惑をかけないこと。

危ないことを止めること。

親が約束を守る姿を見せること。

これは大事です。

でも、家事なんぞでヒステリックを起こして、子どもを悲しませる必要はありません。

子どもは、親が思うほど細かい家事の完璧さを気にしていません。

洗面所の水滴が少し残っていること。

洗濯物の畳み方が少し雑なこと。

床に少しホコリがあること。

皿洗いの手順が妻の理想と違うこと。

そんなことより、親が笑顔でいてくれるかどうかの方が大事だと思っています。

親が笑っている。

家の空気が荒れていない。

子どもが安心して過ごせる。

その方が、よほど子どものためです。

妻は家事育児をしていても、家庭を荒らしているならできているとは言えない

私は、妻が何もしていないと言いたいわけではありません。

家事もしていると思います。

育児もしていると思います。

子どものために動いている場面もあります。

でも、それによって家庭の空気が荒れているなら、私はそれを「家事育児ができている」とは思いません。

家事育児は、作業そのものが目的ではありません。

家族が生活するためのものです。

子どもが安心して過ごすためのものです。

親が落ち着いて子どもに向き合うためのものです。

それなのに、家事の細かさでヒステリックになる。

育児の理想で夫を責める。

自分のやり方と違うだけで不機嫌になる。

子どもの前で怒る。

子どもが笑顔でいられなくなる。

これでは本末転倒です。

私は、家事育児ができる人とは、作業を多くこなす人ではなく、家庭を荒らさずに生活を成立させられる人だと思っています。

だから、妻がどれだけ細かく家事をしていても、それで家庭が壊れているなら、私はできているとは思いません。

家庭が荒れないラインを探す

家事で見るべきなのは、妻が100点を出すかどうかではありません。

家庭が荒れていないかどうかです。

食器が使える。

服がある。

子どもが過ごせる。

ゴミが溜まりすぎていない。

風呂に入れる。

床が危なくない。

保育園の準備ができている。

生活が回復不能なほど崩れていない。

これで十分です。

完璧な家ではなく、荒れない家。

これを目指す方が現実的です。

家事を頑張るより減らす考え方はこちらにも書いています。

関連記事:
家事は頑張るより減らす|やればやるほど損になる作業を効率化する

夫の仕事疲れも家庭運営の前提に入れる

家庭が荒れないラインを考える時、家事の量だけを見てはいけません。

夫の仕事疲れも、家庭運営の前提です。

仕事で疲れて帰ってきた父親が、家庭でさらに削られ続ける。

それでは長く続きません。

もちろん、妻も疲れていることはあります。

そこを否定したいわけではありません。

ただ、夫の仕事量や業務内容、社会で背負っている責任を無視して、家の中だけを見て責めるのは違うと思っています。

家事は、家庭を荒らさないために必要です。

でも、家事のために父親が潰れたら意味がありません。

父親が潰れれば、子どもを守れません。

だからこそ、妻の満足ではなく、家庭全体の安定をゴールにするべきです。

家事は妻への献上品ではない

家事は、妻への献上品ではありません。

「これだけやったから認めてください」

「これだけ頑張ったから怒らないでください」

「これだけ尽くしたから褒めてください」

そういうものではありません。

家事は、家庭を荒らさないための生活作業です。

父親が家事をこなす理由も、妻に認められるためではありません。

子どもの生活を守るため。

自分の立場を守るため。

家の中を最低限成立させるため。

妻に一方的にマウントを取られないため。

そのためにやるのです。

家事のゴールを間違えると、父親側はしんどくなります。

妻を満足させることをゴールにすると、終わりがありません。

でも、家庭を荒らさないことをゴールにすれば、線引きができます。

今日はここまででいい。

これ以上はやらない。

生活に支障がないなら十分。

子どもが安全なら十分。

自分が潰れないなら十分。

この考え方でいいと思っています。

家事は、妻を満足させるためではなく、家庭を荒らさないためにやる。

これくらいに割り切った方が、父親側は長く乗り切れます。

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