夫の仕事の重さを見ない妻
モラハラ妻との生活でしんどいのは、夫の仕事の大変さや責任をあまり理解していないように感じる場面です。
夫も働いています。
疲れています。
責任があります。
収入を支えるプレッシャーがあります。
住宅ローンや生活費、子どもの将来のお金もあります。
それなのに、夫の仕事を軽く見られると、かなりきついです。
私も働いている。
私も大変。
家のことは私ばっかり。
あなたは外で働いているだけ。
こういう空気になることがあります。
もちろん、妻の仕事も大変です。
でも、夫側の負担も見てほしい。
特に年収差や責任差、家計の支払い構造を無視して、ただ感情だけで責められると、夫はかなり消耗します。
フルタイム同士だから対等、で止まる妻
妻もフルタイムで働いている家庭では、「私もフルタイムで働いている」という一点で、夫婦の負担が対等だと判断されがちです。
もちろん、フルタイムで働くこと自体は大変です。
妻が働いていることを軽く見るつもりはありません。
ただ、同じフルタイム勤務でも、仕事の中身まで同じとは限りません。
勤務時間が同じだから、負担も同じ。
フルタイムだから、仕事の重さも同じ。
私も働いているから、あなたと対等。
そう単純には言えません。
年収に差があるなら、そこには働き方・責任・成果・求められている負荷の差がある可能性があります。
それなのに、モラハラ妻はそこを見ようとしないことがあります。
年収差は上下関係ではなく現実の負担差
ここで大事なのは、年収が高い方が偉いと言いたいわけではないということです。
年収が高いから人間として上。
年収が低いから下。
そういう話ではありません。
ただ、家庭を現実的に維持するうえで、年収差や支払い負担の差を無視するのはおかしい、という話です。
夫が多く稼いでいる。
夫側の口座から多くの支払いが出ている。
夫が家計のデッドラインを気にしている。
夫が仕事で大きな責任を背負っている。
それなら、その負担も夫婦の現実として見るべきです。
「私もフルタイムだから同じ」だけで片づけると、夫側の見えない負担がなかったことになります。
それが、モラハラ妻と夫の間に生まれやすい大きなズレだと思っています。
年収が近くても仕事の中身まで同じとは限らない
もう一つ見落とされがちなのが、年収が近い場合です。
夫婦でどちらもフルタイム。
年収もそこまで大きく変わらない。
そうなると、妻側は「仕事の負担も同じくらい」と考えやすいかもしれません。
でも、現実の仕事はそんなに単純ではありません。
同じフルタイム勤務でも、業務内容はまったく違います。
座り仕事中心の仕事もあれば、立ち仕事中心の仕事もあります。
人と話す負担が大きい仕事もあれば、身体を使う仕事もあります。
責任の重い判断を求められる仕事もあれば、危険を伴う現場仕事もあります。
重量物を扱う仕事もあれば、暑さ・寒さ・騒音・汚れの中で働く仕事もあります。
さらに現実問題として、職場によっては男性側が重量物を扱う頻度が高かったり、多少危険を伴う作業を男性が引き受けているケースもあります。
これは「男の方が偉い」という話ではありません。
ただ、仕事の負担は年収や勤務時間だけでは測れない、という話です。
仕事は千差万別
「私も働いている」
「私もフルタイム」
「年収もそこまで変わらない」
これだけで、夫婦の仕事負担を同じものとして扱うのは危険です。
仕事は千差万別です。
精神的なプレッシャー。
身体的な負担。
危険の有無。
責任の重さ。
求められる判断力。
人間関係のストレス。
残業のしやすさ。
休みやすさ。
職場での立場。
こういうものを全部含めて、仕事の負担は決まります。
だから、夫婦で働いているなら、本来は相手の仕事の中身を想像する必要があります。
「同じフルタイムだから同じ」ではなく、
「相手の仕事はどんな負担があるのか」
まで考えるべきです。
忙しさを想像する気がない
問題は、妻がフルタイムで働いていることではありません。
問題は、夫の忙しさや責任を想像する気がないことです。
相手のことを考えられる人なら、
「同じフルタイムでも、夫の方が責任が重いのかもしれない」
「年収差があるなら、仕事のプレッシャーも違うのかもしれない」
「年収差がなくても、仕事内容によって疲労は違うのかもしれない」
「家計の支払いを背負っている分、精神的な負担もあるのかもしれない」
と少しは考えられるはずです。
でも、モラハラ妻の場合は、
「私も働いている」
「私も疲れている」
「私もフルタイム」
で思考が止まりがちです。
相手の仕事の中身や責任を想像しない。
年収差の背景を考えない。
危険や身体的負担を見ない。
家計を支える側のプレッシャーを見ない。
その結果、夫婦間に大きなギャップが生まれます。
経済負担を見ないのは危険
夫婦が対等であるなら、家事育児だけでなく、経済負担も見るべきです。
夫が多く稼いでいる。
夫の口座から住宅ローンや支払いが出ている。
夫が残業や仕事の責任を背負っている。
家計のデッドラインを夫が感覚的に把握している。
こういう家庭は少なくないと思います。
それなのに、家事育児の話になると、夫の経済負担はなかったことにされる。
これはおかしいです。
家事育児の負担だけを見るなら、夫が少なく見えるかもしれません。
でも、仕事と収入の負担まで含めて見ると、話は変わります。
夫婦の負担は、家庭全体で見るべきです。
感情論と現実論
モラハラ妻と夫が歩み寄れない理由の一つに、感情論と現実論のズレがあると思っています。
妻側は「欲しい」「こうしたい」「こうあるべき」が先に来る。
夫側は「払えるのか」「続けられるのか」「家計は大丈夫か」を考える。
もちろん、これは家庭によって違います。
でも、私の感覚では、夫側の方が現実の支払いラインを気にしていることがあります。
月々いくら必要か。
残業代がどのくらいあれば生活できるか。
ローンや固定費を払った後にいくら残るか。
車を買ったらどうなるか。
細かく家計簿をつけていなくても、何となく危険ラインは分かっている。
そこで妻が感情だけで大きな買い物を求めてくると、かなりしんどいです。
理想だけでは生活できない
子どもが生まれたからミニバンが欲しい。
もっと便利な家電が欲しい。
もっと良い生活がしたい。
もっと楽をしたい。
気持ちは分かります。
でも、理想だけでは生活できません。
買った後に払うのは誰か。
ローンを組んで赤字にならないのか。
維持費はどうするのか。
その分、夫の自由や小遣いが削られるのではないか。
現実を見ないといけません。
夫婦なら、夢や希望だけでなく、妥協や現実も一緒に見るべきです。
それができない相手との生活は、本当に疲れます。
夫の仕事を軽く見るな
はっきり言います。
夫の仕事を軽く見ないでほしい。
家事育児が大変なのは分かります。
子どもの対応が大変なのも分かります。
妻側にも不満があるのは分かります。
でも、夫も遊んでいるわけではありません。
働いています。
稼いでいます。
支払いを背負っています。
家庭を維持するために、外で責任を負っています。
そして、その仕事の中身は、勤務時間や年収だけでは測れません。
責任、危険、身体的負担、精神的プレッシャー、職場での立場。
そういうものを想像しないまま「私も働いている」で押し切るのは、相手を見る気がないのと同じです。
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