モラハラ妻への期待を捨てる|妻は変わらないから自分が変わるしかない

モラハラ妻との生活で、夫側がまず捨てた方がいいものがあります。

それは、妻への期待です。

いつか分かってくれる。

いつか謝ってくれる。

いつか自分の大変さに気づいてくれる。

いつか夫婦として普通に話し合えるようになる。

そう思いたくなる気持ちは分かります。

私自身も、昔はどこかでそう思っていました。

でも、今は違います。

相手がモラハラ妻の場合、期待すればするほど、こちらが削られます。

なぜなら、妻が変わることを前提にしてしまうからです。

そして、その前提はかなり危険です。

妻が変わる前提で動くと苦しくなる

普通の夫婦なら、期待すること自体は悪いことではありません。

夫婦で話し合う。

お互いに反省する。

悪かったところを謝る。

次からどうするかを決める。

そうやって、少しずつ関係を良くしていける夫婦もいると思います。

そういう奥さんは本当に素晴らしいです。

でも、モラハラ妻との生活では、そうならないことがあります。

夫が真面目に話しても、妻は聞かない。

夫が落ち着いて説明しても、妻は被害者の立場から動かない。

夫が自分の落ち度を認めても、妻は自分の非を見ない。

夫が改善しても、妻は別のことで責める。

これでは、夫側だけが消耗します。

だから、私はモラハラ妻に対しては、最初から「変わるかもしれない」と期待しすぎない方がいいと思っています。

期待するから傷つきます。

期待するから裏切られた気持ちになります。

期待するから、「ここまで頑張ったのに」と思ってしまいます。

最初から期待しなければ、妻の言葉や態度に振り回されにくくなります。

被害者意識が強すぎる妻は、自分の非を見ない

モラハラ妻の厄介なところは、被害者意識が強すぎることです。

とにかく、自分が被害者であり続けようとする。

自分が苦しい。
自分が大変。
自分ばかり損をしている。
自分ばかり我慢している。
自分ばかり分かってもらえない。

こういう意識が根底にあるように感じます。

もちろん、人間なら誰でも「自分だけが大変だ」と思う瞬間はあります。

疲れている時。

余裕がない時。

思い通りにいかない時。

そういう時に被害者意識が出ること自体は、誰にでもあると思います。

問題は、そこから戻ってこないことです。

冷静になって、

「自分にも悪いところがあったかもしれない」

「言いすぎたかもしれない」

「相手にも事情があったかもしれない」

と考えられない。

ずっと被害者の席に座り続ける。

ここが本当に厄介です。

この他責思考については、こちらでも詳しく書いています。

関連記事:
他責思考の妻|被害者意識が強すぎるモラハラ妻とは分かり合えない

客観的には加害者でも、本人は被害者のまま

特に厄介なのは、言葉の暴力を振るった時です。

夫を傷つける言葉を言う。

人格を否定する。

仕事を軽く見る。

趣味を馬鹿にする。

友人や家族まで否定する。

子どもの前で家庭の空気を壊す。

客観的に見れば、どう見ても加害者です。

言ってはいけないことを言っています。

相手を傷つけています。

家庭内の空気を壊しています。

本来なら、謝るべき場面です。

でも、モラハラ妻はそこで謝らないことがあります。

それどころか、

「私がそこまで言わされた」

「あなたがそうさせた」

「私だってつらかった」

「私の方が大変だった」

「あなたが悪いからこうなった」

という形で、自分を被害者の位置に戻そうとします。

ここまで来ると、話し合いはかなり難しいです。

なぜなら、話し合いというのは、お互いが自分の落ち度を見るところから始まるからです。

でも、相手が自分の非を見ない。

自分が傷つけた事実を見ない。

自分が言葉の暴力を振るったことも、相手のせいにする。

そういう状態なら、夫側がどれだけ丁寧に話しても届きません。

同じ苦しみを味わわせようとする相手とは前に進めない

さらに厄介なのは、モラハラ妻には、

「自分が苦しいから、相手にも同じ苦しみを味わってほしい」

というような感覚が見えることです。

これは、本当にしんどいです。

本来、家庭はお互いに楽になるために協力する場所のはずです。

夫が苦しいなら、少しでも楽にする。

妻が苦しいなら、少しでも楽にする。

子どもが困っているなら、親が支える。

そうやって家庭を良くしていくものだと思います。

でも、モラハラ妻の場合、そうならないことがあります。

「私が大変なんだから、あなたも大変になれ」

「私が苦しいんだから、あなたも苦しめ」

「私だけが我慢するのは許せない」

こういう方向に行く。

これでは、家庭は良くなりません。

前を向いて改善するのではなく、相手を同じ場所まで引きずり下ろそうとしているからです。

だから、モラハラ妻とは分かり合えないことがあるのです。

一緒に前を向けない。

同じ方向を見られない。

夫婦として改善しようとするのではなく、夫を自分の苦しさの中に引きずり込もうとする。

そういう相手に期待し続けると、夫側が壊れます。

妻は変わらない前提で動く

だから、私は妻は変わらない前提で動いた方がいいと思っています。

これは、絶対に一生変わらないと断定したいわけではありません。

人間なので、何かのきっかけで変わる可能性はゼロではないと思います。

ただ、その可能性に自分の人生を預けるのは危険です。

妻が変わるかもしれない。

妻がいつか分かってくれるかもしれない。

妻がいつか謝ってくれるかもしれない。

その「いつか」を待っている間に、夫側の時間、体力、メンタル、子どもとの時間が削られていきます。

それなら、妻は変わらない前提で動いた方がいい。

妻が変わればラッキー。

でも、変わらなくても自分と子どもの生活を守れるようにする。

この考え方の方が現実的です。

期待を捨てることは、冷たいことではない

妻への期待を捨てるというと、冷たい話に聞こえるかもしれません。

でも私は、これは自分を守るために必要な線引きだと思っています。

妻に期待しない。

妻の謝罪を待たない。

妻の反省を待たない。

妻が分かってくれる未来に自分の人生を預けない。

これは、投げやりになることではありません。

むしろ、現実を見ることです。

妻が変わらないなら、自分が変わる。

妻が謝らないなら、謝罪を待たずに自分の行動を決める。

妻が家事育児を武器にするなら、自分も家事育児をこなせるようになる。

妻が子どもの前で空気を荒らすなら、自分が子どもの避難場所になる。

妻が被害者の席から動かないなら、自分はそこに付き合わない。

こうやって、自分の人生を妻の反応から切り離していく。

これが大事だと思っています。

自分が変わるとは、妻に合わせることではない

ここも誤解されたくありません。

自分が変わるというのは、妻に合わせるという意味ではありません。

妻の機嫌を取る。

妻の言いなりになる。

妻のルールを全部受け入れる。

妻に怒られないように自分を消す。

そういう意味ではありません。

自分が変わるとは、自分の行動を自分で選べるようになることです。

家事育児をこなせるようになる。

妻に言われなくても動けるようになる。

子どもと二人で出かけられるようになる。

妻の言葉を全部真に受けなくなる。

必要なら距離を取れるようになる。

妻の怒りポイントを把握して、無駄に家庭を荒らさないようにする。

それでも、自分の人生まで妻に渡さない。

これが、自分が変わるということです。

モラハラ妻との生活では、妻を変えようとするより、自分の行動範囲を広げた方が現実的です。

家庭での居場所を取り戻すために、妻への依存を減らす

モラハラ妻との共存を選ぶなら、夫側が変わらなければならないことがあります。

それは、妻にできて夫にできないことを、できる限りゼロに近づけることです。

これは、家事育児だけの話ではありません。

子どもの準備。
保育園対応。
病院対応。
料理。
掃除。
洗濯。
買い物。
家計の把握。
生活用品の管理。
休日の子ども対応。
親族や外部とのやり取り。
家庭内の判断。

こういうものの中で、妻にしかできないことが多ければ多いほど、夫側は家庭内で弱くなります。

「あなたにはできない」

「私がいないと無理」

「家のことを何も分かっていない」

「子どものことを分かっていない」

こう言われる材料が増えるからです。

だから、共存を選ぶなら、妻にできて夫にできないことを減らす必要があります。

妻からマウントを取られる要素があるなら、徹底的になくしていく。

これは、妻と競争するためではありません。

家庭での居場所を取り戻すためです。

今まで奪われていた家庭内での立場を、少しずつ取り戻すためです。

妻に支配されない生活基盤を作るためです。

本気の覚悟を見せないと、また弱みにつけ込まれる

モラハラ妻は、夫の弱いところを見ています。

家事ができない。
育児が分からない。
子どもと二人で出かけられない。
病院に連れて行けない。
保育園の準備が分からない。
料理ができない。
家計を把握していない。
生活用品の場所が分からない。

こういう部分があると、そこを突かれます。

「結局、私がいないと無理でしょ」

そういう空気を作られます。

だから、やるなら中途半端ではダメです。

本気でやる。

実際に行動する。

妻がいなくても最低限生活が成立する状態まで持っていく。

それくらいの覚悟が必要です。

口だけでは意味がありません。

「これから頑張る」

「手伝うようにする」

「できる範囲でやる」

この程度では、また弱みにつけ込まれます。

共存を選ぶなら、夫側も本気で変わる必要があります。

ただし、これは妻を攻撃するためではありません。

妻を家庭から排除するためでもありません。

自分と子どもを守るためです。

妻にマウントを取られる要素を減らし、父親として家庭での居場所を取り戻すためです。

妻にしかできないことを減らす

妻にしかできないことが多い家庭では、妻の言葉が強くなります。

子どもの準備は妻しか分からない。

保育園の持ち物は妻しか分からない。

病院の診察券や薬の管理は妻しか分からない。

食材の管理も妻しか分からない。

生活用品の在庫も妻しか分からない。

そういう状態だと、夫は常に妻に聞く側になります。

聞くたびに、

「そんなことも分からないの」

「前にも言ったよね」

「自分で考えて」

と言われる。

これでは、夫側は家庭内でどんどん小さくなります。

だから、妻に聞かなくても分かることを増やす。

診察券の場所を把握する。
保育園の持ち物を把握する。
子どもの服の場所を把握する。
薬の管理を把握する。
食材や生活用品の在庫を把握する。
ゴミの日を把握する。
家計の流れを把握する。

一つずつでいいです。

でも、確実に減らしていく。

「妻に聞かないと分からないこと」を減らすほど、妻への依存は減ります。

妻への依存が減るほど、妻の支配力も弱まります。

夫にできて妻にできないことは、残念ながらカウントされにくい

ここで、一つ残酷な話をします。

「妻にできて夫にできないことを減らす」と書くと、こう思う人もいるかもしれません。

「いや、自分にはすでに妻にできないことがある」

「仕事もしている」

「稼いでいる」

「家計も見ている」

「力仕事もしている」

「車の運転もしている」

「日曜大工やDIYもできる」

「妻にできないことを自分はやっている」

その感覚は、かなり正しいと思います。

実際、夫側にしかできないことはたくさんあるはずです。

仕事の責任。

収入。

家計管理。

力仕事。

危険や責任のある業務。

車の運転。

修理。

DIY。

子どもとの外遊び。

妻が苦手な判断や対応。

家庭によって、夫が担っているものは色々あると思います。

でも、残念ながら、相手がモラハラ妻の場合、それらはほとんどカウントされないことがあります。

意味が分からないと思います。

私も分かりません。

でも、現実としてそういうことがあります。

夫がどれだけできることを持っていても、それは評価されない。

夫が妻にできないことをやっていても、それは当たり前のように扱われる。

一方で、夫にできないことだけは、強く責められる。

これが本当に理不尽です。

DIYで棚を作っても、見られるのは不満だけだった

たとえば、私は日曜大工、いわゆるDIYで、妻が要望していた棚を自作したことがあります。

妻が欲しいと言っていたものです。

だから、自分で考えて、材料を用意して、時間を使って作りました。

普通に考えれば、これは家庭のためにやったことです。

妻の要望に応えたことでもあります。

でも、返ってきたのは感謝ではありませんでした。

製作している間、妻が子どもの面倒を見ていたことへの不満ばかり言われました。

もちろん、子どもの面倒を見るのが大変なのは分かります。

そこを完全に無視したいわけではありません。

ただ、妻の要望していた棚を作ったこと。

材料を準備したこと。

時間を使ったこと。

作業したこと。

家庭のために形として残るものを作ったこと。

そういう部分は、ほとんど見られませんでした。

見られたのは、

「その間、私は子どもを見ていた」

という不満の部分だけです。

この時に、私はかなり強く感じました。

モラハラ妻は、夫の強みを評価しない。

夫ができることを見ない。

夫が家庭のためにやったことを見ない。

夫がどれだけ何かをしても、自分が不満なら、そこだけを切り取って責める。

そういう相手に、正当に評価されることを期待してはいけないのだと思いました。

モラハラ妻は、夫の強みより弱点を見る

モラハラ妻は、夫の強みより、夫の弱点を見る傾向があると思っています。

夫が仕事を頑張っていること。

夫が稼いでいること。

夫が責任を背負っていること。

夫が妻にできない作業をしていること。

夫が家庭のために動いていること。

こういうものは、なぜか評価されにくい。

一方で、

料理ができない。

保育園の準備が分からない。

洗剤の場所が分からない。

子どもの服の管理が分からない。

妻の家事ルールを知らない。

こういう部分は、強く責められます。

本当に理不尽です。

でも、相手がそういう見方をしている以上、

「自分にはこれができる」

「自分はこれだけやっている」

「妻にはできないことも自分はやっている」

と説明しても、通じないことがあります。

なぜなら、相手は夫の価値を公平に見ようとしていないからです。

自分中心で、自分の不満を軸に見ている。

だから、夫の強みは見えない。

夫の弱点だけが目に入る。

そういう相手に、正当な評価を期待するのは危険です。

だから、マウント材料を減らすしかない

ここが本当に悔しいところですが、共存を選ぶなら、夫側がやるべきことは一つです。

妻に認めてもらうことではありません。

妻に分かってもらうことでもありません。

妻に感謝してもらうことでもありません。

妻がマウントを取れる材料を減らすことです。

妻にできて夫にできないことを減らす。

妻に聞かないと分からないことを減らす。

妻がいないと動けない場面を減らす。

妻から「あなたにはできない」と言われる要素を減らす。

これを徹底するしかありません。

夫にできて妻にできないことがあっても、それはカウントされない。

だからこそ、妻にできて夫にできないことを潰していく。

本当に理不尽です。

でも、モラハラ妻との共存を選ぶなら、理屈より現実です。

こちらが納得できるかどうかではなく、家庭内で潰されないためにどう動くか。

そこを考える必要があります。

家事育児をこなせることは期待を捨てる土台になる

妻への期待を捨てるためには、自分が生活をこなせる必要があります。

妻がいないと子どもを見られない。

妻がいないと食事が出せない。

妻がいないと病院に連れて行けない。

妻がいないと保育園の準備が分からない。

この状態だと、どうしても妻に期待してしまいます。

妻に分かってもらいたい。

妻に機嫌よくいてほしい。

妻に協力してほしい。

妻に変わってほしい。

そう思いやすくなります。

でも、自分で家事育児をこなせるようになると、妻への依存が減ります。

子どもと二人で動ける。

ご飯を用意できる。

寝かしつけができる。

保育園準備も分かる。

病院にも連れて行ける。

最低限の家事もできる。

こうなると、

「妻が変わらなくても、自分と子どもの生活は守れる」

という感覚が出てきます。

これはかなり大きいです。

家事育児をこなす父親の考え方については、こちらでも書いています。

関連記事:
家事育児をこなす父親の考え方|完璧よりも生活を乗り切る作戦

妻を信用しすぎない、期待しすぎない

ここで大事なのは、妻を信用しすぎないことです。

期待しすぎないことです。

妻がいつか分かってくれる。

妻がいつか優しくなる。

妻がいつか感謝してくれる。

妻がいつか夫の頑張りを認めてくれる。

そういう期待は、持たない方がいいと思っています。

期待すると、また傷つきます。

頑張ったのに認められない。

家事育児をこなしたのに責められる。

子どものために動いたのに否定される。

妻の要望に応えたのに、別の不満だけを言われる。

結局、また夫側が削られます。

だから、最初から期待しない。

信用もしすぎない。

妻がいないつもりで、生活をこなせるようにしておく。

この感覚が大事です。

妻に頼らなくても、子どもと生活できる。

妻が不機嫌でも、家庭を最低限成立させられる。

妻が何を言っても、自分の中に「できている」という事実がある。

その状態を作ることが、父親側の防衛になります。

妻の居場所を奪うのではなく、自分の居場所を取り戻す

ここは、誤解されやすい部分なので、丁寧に書いておきます。

本音としては、

「妻にできることは全部自分もできるようにする」

「妻にマウントを取られる要素を徹底的になくす」

それくらいの覚悟でいいと思っています。

それくらいの気持ちがないと、モラハラ妻との生活ではまた弱みにつけ込まれます。

ただし、目的は妻を家庭から排除することではありません。

妻を攻撃することでもありません。

目的は、妻に支配されない生活基盤を作ることです。

妻にマウントを取られる要素を消すことです。

父親として家庭での居場所を取り戻すことです。

今まで、

「あなたにはできない」

「私がいないと無理」

「家のことを分かっていない」

そう言われて奪われていた家庭内での立場を、自分の行動で取り戻していく。

これが大事だと思っています。

妻と競うためではありません。

妻を追い出すためでもありません。

子どもを守るためです。

自分が潰されないためです。

家庭内で一方的に下に置かれないためです。

夫側まで被害者の席に座り続けない

ここで注意したいのは、夫側まで被害者の席に座り続けないことです。

妻が悪い。

妻が変わらない。

妻が謝らない。

妻が他責思考。

夫の強みを評価しない。

これは、実際にそうかもしれません。

でも、そこで夫側まで止まってしまうと、家庭は何も変わりません。

妻が変わらないなら、自分が変わる。

妻が謝らないなら、謝罪を期待しない。

妻が家事育児を武器にするなら、自分も家事育児をこなせるようになる。

妻が子どもの前で空気を荒らすなら、自分が子どもの避難場所になる。

妻が被害者の席から動かないなら、自分はそこに付き合わない。

夫の強みが評価されないなら、認めてもらう期待を捨てる。

そして、妻がマウントを取れる材料を減らす。

これは、妻を許すという意味ではありません。

妻の言葉の暴力をなかったことにするという意味でもありません。

ただ、自分まで同じ場所で止まらないということです。

モラハラ妻と同じ土俵に立つ必要はありません。

同じように怒り続ける必要もありません。

同じように相手を引きずり下ろす必要もありません。

夫側は、前を向けばいいのです。

子どもを守るために。

自分の人生を守るために。

家庭内で潰されないために。

共存を選ぶなら、妻に支配されない生活基盤を作る

モラハラ妻と共存するなら、夫側は弱点を減らす必要があります。

妻にしかできないことを減らす。

妻に聞かないと分からないことを減らす。

妻がいないと動けない場面を減らす。

妻からマウントを取られる材料を減らす。

それは、妻に勝つためではありません。

自分と子どもを守るためです。

家庭での居場所を取り戻すためです。

一切期待しない。

信用しすぎない。

妻がいないつもりで、淡々とこなす。

共存を選ぶなら、それくらいの覚悟が必要です。

そして、その覚悟は口ではなく行動で示すしかありません。

変わろうと思った時点で、すでに前に進んでいる

最後に、同じように悩んでいる父親に伝えたいです。

妻は変わらないかもしれません。

謝らないかもしれません。

被害者の席から動かないかもしれません。

こちらの気持ちを一生理解しないかもしれません。

夫の強みを評価しないかもしれません。

家庭のためにやったことすら、別の不満に変えられるかもしれません。

でも、あなたは変われます。

今の家庭がおかしいと気づいている。

このままではいけないと思っている。

子どもを守りたいと思っている。

家事育児を覚えようとしている。

妻の言葉に支配され続ける人生から抜け出したいと思っている。

その時点で、あなたはもう前に進み始めています。

モラハラ妻が前を向いて成長しようとしないなら、こちらが前に進めばいい。

同じ場所で止まる必要はありません。

同じ土俵に立つ必要もありません。

妻への期待を捨てることは、人生を諦めることではありません。

むしろ、自分と子どもの人生を取り戻すための第一歩です。

自信を持って前に進みましょう。


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