家事育児をこなせる父親になると妻への負い目が減る

家事育児をこなせるようになると、妻への負い目が減ります。

これはかなり大きいです。

ただし、最初に書いておきたいことがあります。

本来、父親側がそこまで負い目を感じる必要なんてありません。

妻側よりも高い稼ぎで仕事をしている。

家計を支えている。

外で責任を背負っている。

子どもの生活費を稼いでいる。

それなら、本来は立派な役割分担です。

夫が外で多く働き、妻が家庭内の家事育児を多めに担う。

それで家庭が成立しているなら、本来はそれでいいはずです。

でも、現実にはそう簡単に割り切れません。

これは私自身もそうでした。

なぜか分からないけれど、責められ続けると、負い目があるように感じてしまうのです。

「自分が悪いのかもしれない」

「もっと家事育児をやらないといけないのかもしれない」

「仕事を理由にして逃げていると思われているのかもしれない」

そう思わされてしまう。

でも、冷静に考えれば、それは負い目ではなく役割分担です。

ただ、それが普通に通じる家庭なら、そもそもこんな状況にはなっていません。

だからこそ、父親側も家事育児をこなせるようになる必要があります。

本来は負い目を感じる必要なんてない。

でも、現実には負い目を感じさせられてしまう。

その状態から抜け出すために、家事育児を少しずつ自分の武器にしていく。

一緒に戦いましょう。

負い目があると、対話にならない

普通の夫婦なら、家事育児の得意不得意を話し合えばいいと思います。

夫が苦手なことは妻がやる。

妻が苦手なことは夫がやる。

お互いの仕事量や体力を見ながら調整する。

これができる夫婦は本当に素晴らしいです。

でも、モラハラ妻との生活では、そうならないことがあります。

夫が苦手な部分を、妻がマウントの材料にする。

「あなたは何もできない」

「結局、私がやるしかない」

「私の方が大変」

「あなたに任せると余計に面倒」

こう言われると、夫側はさらに動きにくくなります。

モラハラ妻に対話が通用しない理由はこちらでも書いています。

関連記事:
モラハラ妻に対話が通用しない理由|家事育児ができない夫ほど要求を飲まされやすい

だからこそ、父親側も最低限こなせるようになっておいた方がいいのです。

こなせる事実が自信になる

家事育児をこなせるようになると、自分の中に事実が残ります。

子どもと二人で過ごせた。

ご飯を食べさせられた。

寝かしつけができた。

洗濯できた。

病院に連れて行けた。

掃除も最低限できた。

保育園準備もできた。

この事実が、自信になります。

妻に何を言われても、

「いや、自分はやっている」

「少なくとも生活は成立させている」

「何もできないわけではない」

と思えるようになります。

この感覚はかなり大事です。

表面上の平和は解決ではありません。

でも、家事育児をこなせている自信にはなります。

関連記事:
表面上の平和は解決ではない|でも家事育児をこなせている自信にはなる

家事育児が習慣化すると、感情を使わずに処理できる

家事育児をこなす生活を続けていると、ある意味で「ミイラ取りがミイラになる」ことがあります。

私自身、家事育児ワンオペ計画を始めて、もう3年近く経ちます。

その結果、帰宅すると自然に家事育児の状況を確認するルーティーンができあがりました。

洗濯カゴはどれくらい溜まっているか。

洗い物は終わっているか。

保育園の服が泥だらけになっていないか。

子どもの準備はできているか。

今日やるべき家事は残っているか。

こういうことを、帰宅後に自然と確認するようになっています。

基本的には、妻より先回りしてやることが当たり前になっています。

客観的に見ると、もしかすると妻より神経質な夫みたいな状態になっているかもしれません。

でも、それでも家事をこなしている時に、特に何の感情もわきません。

イライラもしません。

焦りもしません。

「なんで自分ばかり」ともあまり思いません。

感謝されなくても、特に何とも思いません。

なぜなら、家事はただの処理タスクだからです。

やる必要があるからやる。

溜まっているから片付ける。

汚れているから洗う。

必要だから準備する。

それだけです。

だからこそ、家事を理由にヒステリックになったり、癇癪を起こしたり、家族にマウントを取ったりする感覚が、私は余計に分からなくなりました。

家事は感情でやるものではありません。

生活を荒らさないために、淡々と処理するものです。

妻がいなくても何とかなると思える

家事育児をこなせるようになると、

「別に妻がいなくても、最低限は何とかなる」

と思えるようになります。

これは、離婚を勧めているわけではありません。

共存を選ぶにしても、この感覚は必要だと思っています。

妻がいないと何もできない。

妻に見捨てられたら終わり。

妻が怒ったら生活できない。

こういう状態だと、夫側はかなり弱くなります。

でも、自分である程度こなせるようになると、精神的な余裕が生まれます。

妻が不機嫌でも、子どもと二人で出かけられる。

妻が寝ていても、ご飯は何とかなる。

妻が怒っても、最低限の家事はできる。

妻がいなくても、生活が完全には崩れない。

この感覚があると、妻のヒステリックな言葉に飲まれにくくなります。

ヒステリックな妻への対処についてはこちらでも書いています。

関連記事:
ヒステリックな妻に言い返せない時の対処法|まず「はぁ?」と返す作戦

負い目を消すために完璧を目指さない

ただし、負い目を減らすために完璧を目指す必要はありません。

完璧な料理。

完璧な掃除。

完璧な洗濯。

完璧な育児。

そんなものを目指すと、逆に苦しくなります。

必要なのは、生活を成立させる力です。

完璧ではなく、こなせること。

ここを間違えない方がいいです。

家事育児ができるとは、無理なく目的を達成できることだと思っています。

無感情でもいい。

笑顔ならなおいい。

鼻歌まじりでもいい。

とにかく、生活が乗り切れていればいい。

家事は完璧にやらなくていいという話はこちらでも書いています。

関連記事:
家事は完璧にやらなくていい|働いてお金を稼ぐ父親は十分偉い

父親側の負い目を減らすことは防衛になる

家事育児をこなせるようになることは、妻に認めてもらうためではありません。

父親側の負い目を減らすためです。

負い目が減ると、理不尽な要求を飲みにくくなります。

自分の判断を持てます。

妻の言葉を全部真に受けなくて済みます。

子どもを守る動きが取りやすくなります。

共存を選ぶ父親にとって、これは大きな武器です。

家事育児をこなすことは、きれいごとのイクメンアピールではありません。

家庭内で潰されないための現実的な作戦です。

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家事育児は妻の機嫌取りではなく父親側の防衛でもある

家事育児をこなす父親の考え方|完璧よりも生活を乗り切る作戦

家事育児に対する心得(マインド)

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