モラハラ妻との生活で、私が一番許せないものの一つが言葉の暴力です。
夫婦喧嘩はあります。
意見がぶつかることもあります。
お互いに言い方が悪くなることもあると思います。
でも、だからといって何を言ってもいいわけではありません。
相手の人格を傷つける。
大切な友人を否定する。
趣味を馬鹿にする。
家族を悪く言う。
夫の努力や仕事を軽く扱う。
こういう言葉は、ただの喧嘩では済まないと思っています。
それは言葉の暴力です。
言葉の暴力を振るった時点で加害者だと思う
私は、言葉の暴力を振るった時点で、その発言をした側は加害者だと思っています。
もちろん、夫側に落ち度があることもあるかもしれません。
夫が何かミスをした。
夫の言い方が悪かった。
夫の対応が遅かった。
そういうことはあると思います。
でも、それは言葉の暴力を振るっていい理由にはなりません。
夫に落ち度があるなら、その落ち度について指摘すればいい。
改善してほしいことを伝えればいい。
でも、人格を傷つけたり、大切な人や趣味や家族まで攻撃する必要はありません。
それをやった時点で、言った側にも責任があります。
謝罪が一度もない
私が許せないのは、言葉の暴力そのものだけではありません。
その後に謝罪がないことです。
子どもが生まれてから、私は妻と数え切れないくらいの口論を重ねてきました。
妻は口論になると、ヒステリックや癇癪を起こし、夫の私に対して言葉の暴力を振るいました。
はっきり言って、酷すぎてブログに書けないような内容もあります。
それでも、今まで言葉の暴力を振るったことに対して、一度も謝罪はありませんでした。
誇張していません。
本当に一度もないのです。
自分だけでなく、友人・趣味・家族まで傷つけられた
言葉の暴力の対象は、私自身だけではありませんでした。
私の大切にしている友人。
私の趣味。
私の家族。
そういったものに対しても、ひどいことを言われました。
私は人の趣味を否定したことはありません。
妻の趣味も、好きなジャンルが違うだけで否定していません。
それなのに、口論になると、こちらの趣味や大事にしているものを攻撃される。
これはかなりきついです。
自分のことを悪く言われるだけでも傷つきます。
でも、自分の大切にしている人や趣味や家族まで傷つけられると、簡単には忘れられません。
本人が発言を覚えていない
さらに厄介なのは、本人が発言したことを覚えていないことがあることです。
言った側は忘れている。
もしくは、そこまで悪いことを言ったと思っていない。
でも、言われた側は覚えています。
言われた瞬間の空気。
その時の表情。
どんな言葉だったか。
どれだけ傷ついたか。
全部覚えています。
そして、その言葉は夫の中に残ります。
表面上は普通に生活していても、心の中では忘れていません。
表面上は円満でも妻を全く許していない
モラハラ妻との共存では、表面上は普通に生活することがあります。
朝、普通に会話する。
子どもの予定を共有する。
家事育児をこなす。
買い物に行く。
保育園の話をする。
休日の予定を決める。
外から見れば、普通の夫婦に見えるかもしれません。
でも、それは許しているからではありません。
家庭を壊さないため。
子どもの前で荒れないため。
生活を成立させるため。
自分が潰れないため。
そうやって、表面上の平和を保っているだけです。
心の中では、全く許していません。
言葉の暴力は、記録できるなら必ず残す
言葉の暴力を受けた時は、可能なら記録を残した方がいいです。
いつ。
どこで。
どんな状況で。
何を言われたのか。
子どもが近くにいたのか。
その後に謝罪があったのか。
こういうことを残しておく。
できれば、発言内容はなるべくそのまま残す方がいいと思います。
記憶だけに頼ると、時間が経つにつれて細かい部分が曖昧になります。
「本当にそこまでひどかったのか」
「自分が大げさに受け取っただけではないか」
「自分にも悪いところがあったのではないか」
そうやって、自分の感覚まで揺らいでしまうことがあります。
だから、記録は自分のメンタルを守るためにも必要です。
最悪の離婚パターンになった時、証拠になる可能性がある
記録を残す理由は、自分の気持ちを整理するためだけではありません。
最悪、離婚の話になった時に、夫側に有利な材料になる可能性があります。
モラハラや言葉の暴力は、外から見えにくいです。
身体的な暴力と違って、傷やあざが残るとは限りません。
外では普通の妻に見えることもあります。
周囲からは、夫婦仲が悪くないように見えることもあります。
だからこそ、何も記録がないと、後から説明するのがかなり難しくなります。
「そんなこと言っていない」
「覚えていない」
「夫が大げさに言っているだけ」
「夫にも原因があった」
そう言われた時に、こちらに何も残っていないときついです。
だから、記録できるなら残す。
メモでもいい。
日記でもいい。
LINEやメールのスクリーンショットでもいい。
可能なら録音でもいい。
もちろん、録音や証拠の扱いについては、状況によって注意が必要です。
離婚や親権、慰謝料など法的な話になりそうなら、早めに弁護士など専門家に相談した方がいいと思います。
ただ、何も残していないよりは、記録がある方が自分を守れる可能性があります。
許せない自分を責めなくていい
ここで、夫側が自分を責める必要はないと思っています。
いつまでも根に持つ自分が悪いのか。
男なのに小さいのか。
家族なんだから許すべきなのか。
子どものために忘れるべきなのか。
そう思うかもしれません。
でも、傷ついたものは傷ついたのです。
夫婦だからこそ、言ってはいけないことがあります。
家族だからこそ、踏みにじってはいけないものがあります。
それを言われて、謝罪もなく、なかったことにされた。
それで許せないのは自然だと思います。
むしろ、簡単に許せない自分の感覚の方がまともなこともあります。
まとめ
言葉の暴力は、簡単には消えません。
言葉の暴力を振るった時点で、言った側は加害者だと思っています。
夫側に落ち度があったとしても、人格や友人や趣味や家族まで傷つけていい理由にはなりません。
しかも、それに対する謝罪が一度もない。
本人が発言を覚えていないことすらある。
それで許せるわけがありません。
表面上は円満に見えても、妻を全く許していない。
これが本音です。
そして、言葉の暴力を受けたなら、記録できる限り残した方がいいです。
自分の感覚を守るため。
後から「そんなことは言っていない」と言われた時に備えるため。
最悪、離婚などの話になった時に、夫側を守る材料にするため。
メモでもいい。
日記でもいい。
LINEやメールのスクリーンショットでもいい。
可能なら録音でもいい。
モラハラ妻との生活では、子どものために共存を選ぶことがあります。
でも、共存していることと、妻を許していることは別です。
許せないものは、許せない。
その本音をなかったことにしない。
そして、必要なら記録として残す。
それも、夫側のメンタルと立場を守るための防衛だと思います。
関連記事はこちらです。

コメント